

馬喰町ミニマムコンバージョン
オーナーにとっては最適な投資効果を生み、かつ借り手にとっても魅力的なリノベーションとは? 大規模でゴージャスな改修ばかりが、常にその最適解とは限らないはず。キーワードは、物件ごとの確かな「価値の測定」、そして、そこから新たに導かれる「価値の創造」。今回は、そんなことを実感させてくれる好事例の紹介です。

撮影:阿野太一
馬喰町・新道通り、レンガ敷きの通り沿いに年季の入った建物が並ぶなか、他とは一風異なる佇まいを見せるビル2棟がrosso bakuro/azuro bakuroだ。白を基調に、建物名の由来である色=「赤」と「青」を階段部にあしらった建物は、それぞれ1967年築、1976年築で、いずれも5階建て(敷地面積:計206.67平米[各約100平米]/総床面積:計793.88平米[各約400平米])。隣り合うその姿は、仲の良い兄弟ビルといった感じでもある。
オーナーの桑原 毅さんは、証券アナリストとしてキャリアを積んだ後、不動産投資の世界に進出した人物。アナリスト時代に培った知識と経験を不動産投資に応用するという戦略で、2001年に「(有)桑原コンサルタント」を設立した。「企業も不動産も、投資にはまず、対象が持つ価値の正しい見極めが重要。つまり“何があっても失われない価値”と“将来生まれ得る価値”の測定ですね」と語る桑原さん。そこで今回は、この物件の購入から改修、入居までを紹介し、リノベーションにおける「価値」とは何か、そのヒントを探してみたい。
桑原さんがこの物件を見つけたのは、不動産投資系の物件情報サイトを通してのこと。ターゲットを良質なサイトに絞ったうえで、情報のチェックは毎日欠かさない。この建物の情報は、競売に出る直前にメールマガジンで配信されたもので、これを見逃さなかった。ワンフロア約80平米、天井高も3mと開放感があり、立地も徒歩5分以内で5線5駅が利用可能。首都高入口も近く、潜在的なポテンシャルはなかなかのもの。
即座に一番乗りで内見にこぎつけ、買付契約まで2日の猶予を得た。その期間をフル稼働し、手持ちの情報から各種シミュレーションを実施。改修費などの初期投資と、家賃設定などによるその回収率を概算した結果、満足いく利回りも得られると判断し、購入に踏み切ったという。
なかでも決め手になったのは、その価格。「売買価格がこのエリアの路線価(※1)とほぼ同額でした。通常、路線価はあくまで基準値で、例えば都内なら売買価格は路線価の1.5~2倍が普通。つまりこの場合、最悪でも損失は無い。その中で面白いことができればと思いました」(桑原さん)。

配水管が詰まっていたため雨が降ると屋上はプール状態に/雨漏りによる水圧で、今にも剥がれ落ちそうな天井/改装前の外観(手前とその奥のビル)
とはいえ、マイナス要因が無かったわけではない。ビルはいわば裏通りに面し、エレベーターも無し。かつて賑わった繊維問屋街も今では空きビルが目立ち、普通の事務所物件としてのアピール度は低い。既存店舗が残った1階はともかく、上層に店舗テナントを誘致するのは厳しい。一方で、閑静な場所というわけでもなく、居住専用で使うにも好条件とは言い難い。「それなら、オフィスと住居が曖昧になっている人々をターゲットにして、地域にとらわれないがスタイルにはこだわる、といった人々の気に入る物件にすればいい。“広めのSOHO空間への再生”という方向性は、購入時点で既に決めていました」。
※1 路線価:主要道路に面した土地に対する国税庁の評価価格。相続税、贈与税の課税基準となる。不動産の評価額を知りたい場合の簡易時価としても参考になる。
(参考:国税庁 路線価図等閲覧コーナー)

改装後 撮影:阿野太一
実際の改修のポイントは、1)中古ビルの味わいを残ししつつ内装・設備は刷新、2)好立地に居住可能な広めのSOHO空間とし、3)シンプルな仕上げで設備投資を抑え、手頃な賃料を実現する、というもの。企画設計はOpen A ltd.が担当。装飾的デザインを排したざっくりとしたロフト空間に、シンプルなキッチンを配し、天井、床はビルの地肌そのままの「ミニマム=最小限」コンバージョンとした。
インフラ整備を除けば最低限の改装としたのは、まず「設備投資費は1、2年で回収する」という目標達成のため。通常は5~10年かけて回収、といった例も多いものの、こうした物件は10年後にどういう形で残っているのかも未知数。早期回収を第一目標とした。
一方、そもそも今回想定する借り手は豪華な改装を求めてはいない、という確信があった。「立地や建物が特殊だからこそ、いわば“キャンバスだけ下さい”という人に喜んでもらえる空間にすべき、という考えがずっとありました。そういう物件はメディアでイメージだけが広まっている割に、実際には少ない。求めているお客さんと出会えさえすれば、上手くいく自信はありました」。
そこで桑原さんは、入居者募集については東京R不動産に協力を打診。以前物件リサーチ中に、ユニークな物件が多く紹介されていたのが印象に残っていたからだ。両者の協力体制のもと開催された内見会は、多くの来場者で賑わった。自由度の高い空間と手頃な賃料(75.17平米:月額22万円など)から、竣工前にもかかわらずその場で申し込む人も。募集開始から約2ヶ月で全室が契約完了し、予想以上の反響が得られた。
「例えば契約者の1人は真空管アンプでの音楽にこだわっている方で、まさにこのスペースが彼の望みにはぴったりだったようです。こういうまっさらな空間が好きな人は、気に入った場所さえ見つかれば“浮気”もせず長く使ってくれる。大手が仕掛ける豪華なリノベーション物件とも違いますから、その意味では競合もいない。あえて言うならこの建物内の部屋同士が競合する、というイメージですかね」。

撮影:阿野太一 rosso bakuro / azuro bakuro 東京都中央区日本橋馬喰町1-5-15 桑原コンサルタント
オーナーの立場からもこの建物は、所有を続ける、または転売する、いずれにしても利益を生む優良物件として価値を高めることに成功した。「同様の事業はチャンスさえあればまた挑戦したいし、マンションなどにも応用できる部分はある。さらに、第三者にこうしたノウハウをコンサルティングすることも考えています」。
なお、rosso bakuroの2階は改修工事の開始後に既存テナントが退去したため、桑原コンサルティングのショールームを兼ねて、若手クリエイター向けシェアオフィスとして格安で提供している。これも、不動産を触媒とした若い人材への投資、ひいては彼らを誘致することによる地域社会への投資なのだろう。「価値の測定」の先にある「価値の創造」。それは投資家ならでは、というよりむしろ、優れたリノベーションの本質をも指し示す視点に思える。こうしたオーナーが増えると、借り手にとっても、街にとっても嬉しい状況が生まれてきそうだ。
