

眠庵
昨年の暮れ、神田須田町の一角に蕎麦と豆腐とお酒の店「眠庵」がオープンした。もとは大正築の古民家だったこの物件、旗竿地にあるため再建築不可(※1)、改修されるほか生き残る道はないという崖っぷちに立たされていた。これを再生させたのが眠庵店主柳澤宙さん。着工してから約半年、いよいよ開店するとの吉報を聞き付け、さっそく伺ってみた。

小さな頃から長野に住む祖母が打ってくれる蕎麦がすごく好きでした。務めていた会社を辞めた後、しばらく全国を転々と廻っている時期があって、どこに行っても蕎麦を食べている自分に気が付いた。それがきっかけで蕎麦屋になることを真剣に考えるようになり、それから蕎麦屋を廻って蕎麦打ちの練習に励み、研究を重ね、次第に温泉旅館などでも手伝いをするようになりました。この頃から物件は探していたんです。古い民家を改造して蕎麦屋にしたいと思っていましたが、気に入った物件が先に契約されてしまったり、店舗として使うことを大家さんの許可してくれなかったりして、なかなか決まらなかった。そんな時、東京R不動産のウェブサイトからこの物件を見つけたんです。

(左)After 古民家のよさを残しつつ、きれいに生まれかわった。 (右)Before 薄暗い屋内。でも古い建材には味がある。
正直これはダメだろうと思いました(笑)。道路に面している部分は90cmしかないし、大正時代の建物のわりにはその時代の空気が漂っているわけでもなく、古い家の趣きが感じられなかったんです。でも、図面を描いてみると、意外にも蕎麦屋として使えることが分かってきた。たとえば民家を飲食店に改造する場合、厨房を通らないとトイレに行けないような間取りだと保健所の許可がおりない。この物件はクリアしていたんです。そうやって検討しているうちに、だんだんおもしろくなってきました。

解体中 床を全部剥がして、 痛んだ基礎構造を鉄筋コンクリートで補強。
基礎構造は相当痛んでいましたね。特に1階の床は傾いていてどうにもならなかったので、全部剥がして鉄筋コンクリートで補強し、その上に新たに床を張ることにしました。
厨房部分には床を張らず、コンクリートの上にクッションフロア(※2)を敷き詰めています。もとは普通の畳の部屋だったので、給排水や電気の配線工事も必要でした。こういった基礎部分の工事は業者さんにお願いしましたが、その他の改修作業はほとんど自分でやりました。たとえば、床やテーブル、カウンターなどをオイル仕上げ(※3)で塗装したり、天井にペンキを塗ったり。壁には珪藻土(※4)を使用していますが、購入先の方が技術指導に来て下さって、左官作業も自分でやったんです。工事期間は半年くらい。最初の2ヶ月は基礎工事、残りの4ヶ月はひとりで毎日ひたすら作業していましたね。
こういった大工作業は初めての経験でしたが、母親が建築系の仕事をしているので相談することができたし、家にはカタログがたくさんあったのですごく助かりました。カタログから取り寄せたものも多くありますが、ネットで安く入手できるところを探し当てて、直接現地に買い付けにも行きました。テーブルやカウンターの天板には一枚板を使っていますが、長野で市価の約1/4の値段で入手できたんです。工事費や木材の仕入れ、工具代を合わせて500万円くらい。自分で作業した分、コストは抑えられたと思います。
※2 クッションフロア:発砲塩化ビニールやガラス繊維を基材とした、耐水、保温性に優れた床材。
※3 オイル仕上げ:木材にオイルをしみ込ませる塗装方法。オイルを塗って布で刷り込むように拭く作業を2~3度繰り返す。
※4 珪藻土(けいそうど):漆喰のような風合いが出る塗り壁材。保温、断熱、防露、脱臭などさまざまな機能をもっている。

あたたかみのある店内。つい長居してしまいそうだ。
古い建材のいい雰囲気や80年経ってもヒビひとつ入っていない名人技の漆喰など、既存のいいところはなるべく残そうと思っていました。でも解体してみないと分からないことも多く、いい感じの天井板が出てきて裸のまま使った部分もあれば、腐敗した木材が出てきた部分もあります。なぜか床下からすり鉢が出てきたりもして、それを利用してトイレの手洗いをつくりました。作業を進めていく中で、状態を見ながら湧いてきたアイデアを試していった感じです。もともとモノを作ることが好きなので、とても楽しかったですね。
改修作業は経験がなくてもできると思います。ホームセンターに行けばいい道具もあるし、本気でやろうと思えば自分で調べたり、行動を起こすと思いますし。ただ気力を持続させるのはなかなか大変ですね。やっぱり途中で疲れますから(笑)。
蕎麦屋になると決起してゼロから蕎麦づくりに取り組み、この大掛かりな改修もほとんどひとりでやり遂げた柳澤さん。この熱意には頭が下がる。今後まだまだ手を加えていきたいとのこと。2階の畳の間を馴染みのお客さんがゆっくり呑める空間にする予定らしい。何だか江戸時代の蕎麦屋みたいでグッとくる。隠れ家のような蕎麦屋の暖簾をスラリとくぐり、簡単な肴でお酒をチビチビとやって旨い蕎麦で締める。眠庵で粋な大人を気取ってみたくなってきた。
眠庵
住所:東京都千代田区神田須田町1-16-4
TEL:03-3251-5300
営業時間:12:00~14:00、17:30~21:00
不定休
※1 奥の敷地に対して道に面する部分が極端に狭い旗竿状の土地。四方を隣接の建物に囲まれ、接道部分が2m以上ないと新改築が不可とされる。
