column 2010.7.6
 

マンションの一室から始めるアトリエ

武藤ふき子(東京R不動産/Antenna inc.)
 

東京R不動産でもお馴染み、小規模の事務所やフリーランスの人に特に人気のあるこのマンション。その人気の理由とは? ここの一室に独立後はじめて拠点を構えたという入居者さんたちを取材した。

今回取材させていただいた、入居者のみなさん。

渋谷駅からJRの線路に沿って代官山方面へ歩いていったところに、このマンションはある。これまで何度か東京R不動産で紹介し、累計11組のお客様が入居を決めてくださり、そのうち8組のお客様が今も入居中という、R不動産ではお馴染みの物件だ。

築年数は約30年、もともとは住居用マンションだったが、2〜3年前からは新規の入居契約は事務所仕様での募集に切り替えたこともあり、現在は事務所として入居されている方がほとんど。オーナーさんは空いた部屋から順次、事務所仕様に改装していて、全部で60戸くらいあるマンションだが、空きが出てもすぐに埋まってしまう人気物件なのだ。

その人気がある理由には、いくつかポイントがある。

左:紫陽花がきれいに咲くエントランス。中:退居直後の募集時はこんな感じ。右:外観。

好立地のうえに、初期費用が手頃

ひとつは、渋谷駅から徒歩5分という好立地であること。事務所を構えるうえで、アクセスの良さは大事なポイントになるのは言わずもがな。さらに、この物件は、入居時の契約における初期費用が手頃な設定になっているのだ。

日本の不動産には、入居する際にかかる費用に敷金・礼金というものがある。物件や地域によって設定はさまざまだが、住居だと敷金・礼金ともに、それぞれ賃料の2ヶ月分を支払うというのが一般的だ。

敷金は家賃滞納や補修などの担保としてオーナーさんに預け入れるものだが、これが事務所や店舗物件となると、内装の変更や多数の人が出入りするため物件が傷みやすいという理由から、保証金(敷金と同様オーナーさんに担保として預け入れる)6ヶ月と設定されている物件も少なくない。引っ越し費用やインテリアを購入したりと、入居時にはいろいろな出費がかさむわけで、敷金・保証金が大きなネックになる場合が往々にしてあるのだ。

マンションタイプのオフィスだと、敷金が比較的低く設定はされているものの、それでもこのマンションと同じ面積条件であれば、敷金3ヶ月、礼金2ヶ月というものが多い。

そういった面で、この物件は敷金2ヶ月、礼金1ヶ月と、むしろ一般的な住居よりも控えめに設定されている。家賃はこのエリアの相場と変わらないが、最初にかかる費用が抑えられるため、フリーランスや独立したばかりの事務所にとっては、入居しやすい物件ということになる。40平米という広さも、小規模の事務所にちょうどいい大きさだ。

セミオーダースタイルのアクセサリーを手掛けるSTUDIO BULLET。

成長を見守るオーナーさんのスタンス

さらに、フリーランスや独立したばかりの事務所が入居しやすい理由には、オーナーさんの考え方も大きく影響している。まだ実績がない起業したばかりの事務所だと、今後滞りなく家賃を支払えるかどうかという入居時の審査で当然不利な面があるわけだが、このマンションのオーナーさんは、起業したばかりの若い人たちに対しても、実に協力的な人なのだ。

そんなオーナーさんを「寮母さんみたいな感じ」と語るのは、2年前にこのマンションの一室に入居してくださった、セミオーダースタイルのアクセサリーを手掛けるSTUDIO BULLETの羽角仁志さん。

左:「セミオーダースタイルで、お客様の好みや要望を採り入れながら、お客様が本当に欲しいものを提供していきたい」右:ショールームスペースの奥にアトリエがある。

20代はサラリーマンとして働いていたが、もともと起業したいという思いがあり、小さい時からモノを作ることが好きだったことから、4年ほど前にアクセサリーの世界に飛び込むことを決意。専門学校に1年間通った後、手探りしながら自宅で制作活動を始めた。

次第に自宅が手狭になったため物件を探すことに。物件の条件は予算的なことはもちろん、商談に来ていただきやすい立地であること、そして、ある程度の制作ができる環境であることだった。しかし、アクセサリーの制作はどうしても音が出てしまうので、なかなか都心だと難しく、アトリエは別の場所に構えることもやむを得ないと思っていたそうだ。

「ここはマンションの一室なのでダメかなと思ったのですが、オーナーさんに相談したところ、基本的にみなさん生活しているわけではなく事務所で使っているから、多少音が出たとしても大丈夫だと。そもそも線路沿いだし、ここはエントランスに近い部屋なので、人の出入りも激しいところだからっておっしゃってくださって。
本当、オーナーさんに感謝ですよね。うちが展開したいことに対して、むしろフォローしてくださるような考え方をお持ちなんです。最初は取引先と商談できるような場所として考えていたんですけど、一般のお客様に対しても予約制のショールームとして、また、たびたび会員招待SALEといったイベントを企画したり、ショップとしても機能させたいっていうことに関してもご理解いただいて。ちゃんと相談すれば、非常に協力的に考えてくださるので、その点がすごく助かっています」


STUDIO BULLET
http://www.hitoshihasumi.com/

既成の生地や古着をリメイクして1点ものの洋服を手掛けるYEAH RIGHT!!さん。

改装は可能な範囲で希望を聞いてくれる

オーナーさんが、多少部屋に手を入れることに対しても協力的であることもポイントのひとつ。退居直後の部屋にオーナーさんがリフォームを入れるタイミングであれば、希望を採り入れてくれるのだ。たとえば、何も指定がなければ床にはクッションフロアを張り、壁には白いクロスを張るけれど、希望があれば可能な範囲で好みのものに変えてくれるといった具合だ。

左:最近は洋服だけでなく、長崎の波佐見焼をリメイクして食器も制作している。右:渋谷駅から5分とは思えないほど静か。

こちらは、アトリエ兼事務所として使っているYEAH RIGHT!!さん。既成の生地や古着を使ってリメイクし、1点ものの洋服や靴などを手掛けている。代表の河村慶太さんは、服飾の学校を卒業後、2年間アパレルデザイナーのもとで働き、5年ほど前に独立。最初は高円寺の自宅をアトリエ兼事務所にしていたが、手狭になったことと、アパレルという業種的に渋谷あたりに拠点を構えたいという思いがあり事務所を探し始めた、というのがこの物件に出会った経緯。

ちょうどオーナーさんがリフォームを入れるタイミングと入居の時期が重なったため、床はもともと張ってあった床材を剥がした状態のままにしてもらった。接着剤の跡が残っていたりするが、むしろざっくりとした"いい味"になっている。オーナーさんの了解を得て、壁は自分たちで白く塗装。あまり費用をかけずに、好みに合ったアトリエ空間が手に入ったわけだ。

「使い心地はいいですよ。駅に近くて立地もいいので、何か必要なものはすぐ揃えられますし。ここは渋谷だけど、ちょっと代官山寄りであること、この部屋の配置は線路沿いとは逆ということもあって、意外と静かなんですよ。窓の外が割と抜けていて、結構気持ちいいんですよね。残念ながら建物が建ってしまって、ちょうど隠れて見えなくなってしまったけど、前は天気が良ければ富士山も見えてたくらいですから」


YEAH RIGHT!!
http://www.yeahright.jp/

プライベート感覚のヘアサロンvaniliaさん。

プライベート感を利点に

もともと住居用のマンションということもあり、不特定多数の人が出入りするのはNG。しかし、それをウリにする逆転の発想をした例もある。

8階に入居されているヘアサロンvaniliaさん。完全予約制で、プライベート感覚のヘアサロンだ。「お客様にとって自分だけの贅沢な時間と、最高にリラックスして過ごせるおしゃれで心地よい空間にしたかった」と語ってくれたのは、2006年にこのヘアサロンをオープンさせた松中ゆきさん。

松中さんは都内のサロンで修行を積んだ後、単身ニューヨークに渡り、コマーシャルや映画のヘアメイクの仕事をしていたという経歴の持ち主。帰国後、再び都内のサロンで働いていたが、そのサロンがクローズすることをきっかけに独立を決意。それから、怒濤の物件探しが始まった。条件は「1階路面の店舗物件」。しかし、なかなか条件に合う物件に出会えなかったそうだ。

「当時あちこち物件を見て回っていて、実はこの物件に問い合わせた記憶がなかったんです(笑) ここはマンションの8階で、自分が探していた条件と全然違うのに、どうして問い合わせたんだろう? って。でも、エレベーターで上がってこのフロアに降りた時、"あれ? なんかここ記憶にある"って思ったんですよね。ニューヨークで住んでたアパートメントの雰囲気にすごく似ていたんです。それで部屋のドアをパッて開けた時に、"意外といいかも"って閃きました。自分が思い描いていたプライベートサロンを、今の自分の力量で、きっとやれるって」

探していた「1階路面の店舗物件」という条件に比べて、このマンションは家賃・入居時の初期費用ともに格段に抑えられるというのも、入居を決めたポイントだった。

「シャンプー台からのこの眺め。ここに立つと気持ちがよくて、いい意味でやる気がなくなるの(笑) お客様によっては、美容院に行くというよりも、"ゆきさんち"に行って来るみたいな感じでいらっしゃる人も結構多くて。"ここにカウチがあればいいのに..."って言うんですよ。ここで寝ようとしてるの? って(笑)」

今はこんな素敵な空間になっているが、ごく普通のワンルームマンションの一室をサロンに改装するには、床や壁をはじめ、トイレやシャンプー台など、それなりに工事を入れなければならなかった。

オーナーさんは、これまでいろんな業種の入居者さんを受け入れてきたが、ヘアサロンは初めてのケースで、どの程度改装が必要になるか分からなかったため、いろいろ戸惑うこともあったようだ。

しかし、出来上がった空間を見て、逆にオーナーさんはとても喜んでくれたそうで、仲介を担当したR不動産のメンバーも「こんな素敵になったのよ、見て!」とオーナーさんに自慢されたとか(笑) オープンして以来、オーナーさんも担当したR不動産メンバーも、たびたびvaniliaさんで髪をカットしてもらっている。

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