杉田さんと「アカバネの森」

語り手:杉田由樹さん

赤羽駅東口、カラオケ店やチェーンの焼肉店の看板に囲まれてポッカリと空いたロータリーを抜けて、商店街に向かって歩く。昔ながらのレコードやカセットを扱うミュージックショップに、大手の100円ショップ、個人商店の青果店、メガネ屋に靴屋といった顔ぶれに覆いかぶさるドーム型の巨大なアーケード。想像していたよりずっと大きな町で、平日なのに人々が行き交い、活気がある。目新しい店に目移りしながら脇道にそれて角を曲がると、その「森」が目に飛び込んできた。

近づいて行くと、徐々にその全容が明らかになるが、角地に立つ4階建ての建物全体が見事なまでにすっぽりと植物に覆われている。外構の植栽には樹木が植えられていて、ツタと絡まりながら一階の店舗の入口に覆いかぶさる様は、さながら緑のオーニングだ。オーナー夫妻が営む喫茶店と、雰囲気の良い小さな日本酒バーが軒を連ねている。

この赤羽の森のオーナーである杉田さんは、福井県の材木屋の息子として生まれた。当時、福井県では一番大きな材木屋で創業150年以上の老舗だったが、家業の先行きは明るいものではなかったようだ。10代のとき、両親からは家業は継がずに医者か建築士になることを勧められ、親の期待に応えようと真面目に理系の道を歩んでいた。しかし、高校2年生のときに母が他界し、進路とこの先の生き方に思いを巡らす機会が訪れる。

「母を亡くし、目標を見失ってしまったんですが、もともと医者や建築士を目指していたのに普通の学部に行くのはなんだか格好がつかないと思ったんです。でも、美大ならちょっと人とは違う。小さい頃から絵の腕前には自信があったし、美大に進もうと考えました」

結果、多摩美術大学のグラフィック専攻に進学したが、杉田さんが大学に入学した当時は学生運動の真っ最中だった。一浪して美大予備校に通い合格した大学は紛争で閉鎖されており、4年間まともに授業を受けることができないまま学生生活を終えることになったが、学生課の世話になりデザイン関連のリサーチ企業に就職した。

就職してみたものの、仕事をするうちになにか自分で新しいことをやってみたいと考え始める。2年目のときに、マーケティングツールとして使えるCI(コーポレート・アイデンティティ)のデザイン評価チャートを考え出し、「自分を社長にして子会社を作ってくれないか?」と社長にプレゼンして直談判した。社長からは「やってみろ」と言ってもらえたものの、20代の若造が突然子会社社長の肩書を得られるはずもない。子会社発足は思い通りには進まず、結局CIデザインに携われる大手企業に転職することにした。

大手企業で周りに優秀なデザイナーがたくさん居るなか、自分には才能がないと嘆きながらも、プレゼンは得意だったのでたくさんの大企業のCIデザインやブランディングに携わる機会を得た。そんな折に、家業の材木屋をたたみたいと、兄から相談がくる。

「優秀な人に囲まれて自分の力不足を感じ、デザイナーとしての未来がないように思っていたんです。そんなときに家業をたたむ話が出てきて、閃きました。雪に強い北陸の骨太な木造住宅を、東京の人に向けて売るアイデアです」

当時の日本ではセカンドハウスを専門に企画・販売する会社は少なかったので、富裕層に向けてそういう商品を作れば東京で売れるだろうと想像がついた。都心に、北陸の家のノスタルジックなスタイルを持って来るというコンセプトだ。

北陸は雪が多いから、屋根を支える梁と柱が太く大きくなる。杉田さんが東京に来て初めて住宅の上棟式を見たときには、マッチ棒でできているかと思った...そのくらいの差があるそうだ。大企業相手の仕事に関わるなかで、彼らと同じことをやっていたら負ける、というのはわかっていたので、差別化という意味で太くてダイナミックなものは受けると思った。吹き抜けにすることで、本来は機能である太い柱や梁を意匠として見せるようなデザインを提案した。30代なかばを迎えた杉田さんがこの事業を思いついたのは、折しもバブル景気に向かって日本中が浮足立っていた頃。別荘ブームも相まってこの企画は大当たりし、一時は閉業を考えていた家業の材木屋が、息を吹き返した。

しかし天邪鬼なところがある杉田さん、儲かる仕組みができあがり成功し始めるととたんにつまらなくなる。1年間で別荘を数十件成約した敏腕の後輩に家業を任せて、自分はほかのことをやろうと考えた。ところが、ほどなく後輩が数億円の手形を振り出し、家業は借金まみれに。潰れる2ヶ月前に杉田さんが社長に返り咲くかたちで責任をとり、その後は友人が営む外構・エクステリアの製造業の会社に移り働いた。

しばらく務めた後に製造業を離れると、今度は大手百貨店から「インテリアの領域で新たなトレンドをつくり出せないか?」という相談を受け、また新しい住まいの企画を思いつく。家の内装を仕上げずに箱だけ作って施主に引き渡す、ハーフビルドのサービスだ。庭や外構に関わる仕事をするなかでDIYのカルチャーに触れ、これからはDIYで住宅の個性を出す時代がやってくると考え、百貨店に提案した。バブル崩壊後、住宅づくりにかけられる費用に限りがあるなか、理想の住まいを手に入れる手段として施主にとっても魅力的だったのだろう。その後、大手メーカーの子会社上場に向けた新規事業としてガレージ付きの賃貸住宅を提案し、これも趣味を持つ大人の層に受け入れられ人気を博した。七転八倒しながらも「普通はつまらない」と考え、住むためだけの「家」ではない、今までにないあたらしい住空間づくりのアイデアを世に送り出し続けた。

この赤羽の物件は、もともとは杉田さんの義実家の持ち物で、一階では歯科業を営み、上階で家族が暮らしていた。杉田さんが外構・エクステリアの製造業を離れたあと、改装して上階を賃貸住宅として貸すようになったが、かつては色々と問題がある住人も多かったようだ。

そして、もうひとつ頭を悩ませていたのが、ビルの老朽化だ。築60年を超えた建物の外観をどうにかしたいと考えあぐねていたときに偶然目にしたのが、東京都北区の壁面緑化助成金の情報だった。もともと、ビルの角地にはバラが植えてあったが、それが思った以上によく育ち、夏になるとバラが咲き乱れる。このバラをより美しく見せるためにビルの壁面を緑化して、ついでに古めかしい外壁も隠してしまおうという構想だった。

得意のイラストとプレゼンで助成金を手にし、壁面緑化を始めたのが2010年頃。ビル全体がすっかりツタに覆われ、植栽が季節の移ろいを感じさせる、ほかにはない風情のある建物に成長した。赤羽で内見案内をしていた東京R不動産のスタッフが吸い寄せられるように扉をたたいたのは、2018年のことだった。

「昔はいかにも赤羽といった感じの、ちょっとわけありな住人が多かったんです。でも、R不動産に掲載するようになって、今ではまったく違った雰囲気の人たちが内見に来ますね。上場企業で働いている方や、弁護士さん、アトリエを探しているアーティストも」

実はこの壁面緑化、見た目を劇的に変えただけでなく、結果的に物理的な役割も果たしている。ツタの強靭な幹が壁を這っていることで壁材の落下を防いでいて、落下防止の網もかけているがツタのおかげでそれも目立たない。
室内のDIYも可能で、入居時には壁の色などのリクエストも聞いてくれる。一般的に、予算と自分らしいスタイルの家に住みたいという思いはせめぎ合っていて、多くの人が悩みながらそろばんをはじいているだろう。ここは住人の入れ替わりのたびに杉田さんがリフォームを施していて、そのままの状態で気に入ってもらえることも多いが、次の住人が自分らしさを表現できる余地もある。強烈な個性の外観に、自分で手を加えられる柔軟なプライベート空間。ふと窓を見やれば、緑の額縁が彩る。この一風変わった館でどんな風に暮らそうか...と妄想するのは、とても楽しそうだ。

今でこそ、さまざまな個性ある空間で多様な暮らしが営まれる時代になったが、それは、杉田さんのような「当たり前はつまらない。新しいものをつくりたい」という好奇心に取り憑かれた人たちが、おもしろい物件をつくって市場を開拓してきたからだ。東京R不動産がサイトの誕生から20年以上経った今でも「一番おもしろい不動産サイト」と言ってもらえることが多いのも、そんなクリエイティブなオーナーたちの飽くなき好奇心・探究心のおかげなのだ。

オーナーたちが次の「他にない物件」を生み出していくために、東京R不動産はそれを世に伝え共感する人たちにつなげていくことが使命だ。杉田さんの話を聞きながら、あらためて私たちも、予想を裏切るような深いモノ、新しい世界を見つけていかなければという思いを持った。

語り手:杉田由樹さん

取材・構成:矢崎 海 / 写真:阿部 健二郎

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