2010.11.16
第16話 東武ビルディングは何処へ向かうのか
松尾尚司が、浅草東武ビルディング再生策について語ります。
前回お話しした松屋浅草地下道奥の物件もその後順調に内見を重ねており、浅草が今後益々変化していく足掛かりが掴め始めた。今回はその上階、松屋浅草店が入居する東武ビルディングについて考察したい。
東武ビルディングは久野建築事務所の設計により昭和6年5月に竣工、2階部分を東武鉄道発着所、それ以外を松屋浅草店とする当時としては画期的な建築だった。大阪難波の南海ビルも同じく手掛けているが、同じ建物内に地下鉄を備えているユニークさでは東武ビルディングに軍配が上がるだろう。
『新建築』昭和6年12月15日発行号(第7巻第12号)より、当時の東武鉄道浅草停車場全景。
何より当時の写真を見ると「これが浅草か!」と見紛うばかりの光景である。隅田川側から撮影されたその姿は正に近世復興を体現する美しさ。日本のアール・デコ建築の名に恥じない姿だと興奮をしてしまう。さらに2階部分より電車が滑り出る光景は当時、空母の射出装置カタパルトから航空機が飛び出てくるようだとたとえられたそうです。たとえが時代背景を反映していますね。
『大東京写真案内』(博文館、昭和8年7月)より、浅草松屋附近。
しかし現状の東武ビルディングの状態はあまりにもったいない状況。4階から7階は閉鎖され当時鳴り物入りで大賑わいだった屋上遊園も閉鎖。スカイツリーの建設との対極に厳しい現実に晒されています。
何とか救済策は無いのか! と一人妄想に励む今日この頃です。
ただ、おぼろげながら感じられるのは、東京を目指す外国人観光客を一様に惹き付け、東京に住む日本人にさえも哀愁を感じさせる浅草のド真ん中にパンチの効いた建物、ブランディング次第では大化けする可能性があるということ。優れたモダニズムを具現化する形で現在に残る建物と今の台東区が支援する【モノ創り】との連携があれば、東京の中でも特異な地位を築けるのではないかと仮定するのです。
例えば、区内に点在する若手作家のショップ・ギャラリーをワンフロアに集結させる。玩具・革製品・小間物等品質の高い商品が並び、都内でも珍しい商品が一箇所に集まり観光客にとっても嬉しいはず。目の前で自分の作品が動けば、作家同士の刺激にもなることでしょう。デパートでも常設でこのような取り組みは珍しいので、話題もさらえるかもしれません。何より建物が持つ当時の先見性に追いつけるかも、とは考えすぎでしょうか。
今回はワンフロアだけの使い方。
東武ビルディングの方向性に関しては今後も勝手に考えを廻らせていきたいと思います。
東武電鉄の担当者の方、ご覧になっていれば企画の段階からぜひお手伝いさせて下さい!
浅草エリアの時代がやってくるのではないか?!それが私たちの仮説です。日本橋エリアを見つけた時の感覚と同じものを、東京のさらに東側の浅草エリアに感じました。昭和の懐かしさと近未来が混在したシュールな風景がおもしろいこの街で、物件を探し始めます。
浅草を探索する理由とは?
馬場正尊による関連コラム
「気になっている浅草エリアを、自転車ツアーで探索してみる。」
三箇山、松尾、伊藤、黒田(山形R 不動産リミテッド)
東京R 不動産の東チームとして日本橋エリアの物件を開拓するメンバーと、1 ヵ月の限定の特別参加の山形R 不動産リミテッドからの学生インターン。