第5話 「清川」、「今戸」あたりの20世紀世界
「浅草寺」の北側、「浅草3丁目〜6丁目」あたり。
僕たちの体にも違和感を感じ始めた頃から、何だか街に違和感を感じ始める。その感覚は「ここは平成の時代なのか」という違和感で、田舎に残るかすかな昭和の感じに似ている。

「浅草」の端っこ。「清川」、「今戸」、「橋場」という地名に変わるあたり。
地名が「浅草」から変わると、周りに高層ビルもなくなる。

「浅草」の端っこにある「曙湯」。
そのかわり、葉っぱがもじゃもじゃ茂っている銭湯や、小さな子供が自転車に乗っている風景、木下で昼寝をする営業マン、混んでいないプール、そして下町の風景に違和感を覚えるスカイツリー……。
そう、このあたりから「昭和のにおい」がぷんぷんするのだ。
僕はそんな昭和の世界が不気味に残り、20世紀と21世紀の世界が変に混じった風景を、どこかで見た覚えがある。
20世紀末から21世紀になる時代を舞台とし、少年時代と現代が変に混じり合い、不気味な宗教? が広まり、おかしくなる日本を描いた漫画の世界だ。
漫画の世界のように異変があるわけでは決してないが、「日本の昭和の世界」が「21世紀の東京」に残っているのがちょっと不気味でもあり、懐かしかった。
僕は昭和の終わりに生まれ、記憶があるのは平成の時代からだが、僕が小さかった平成の始まり頃はまだ「昭和の世界」が残っていて、僕もその世界を経験していた。
そういえば僕は、小学校の近くにあった駄菓子屋で買い食いをしていた。夏休み、学校のプールに行く時は、家から海パンをはいて行っていた。プールに行った帰りに公園を通ると、車の中で昼寝をする営業マンを見ていた。
そんな風景が、まだ「清川」、「今戸」、「橋場」に残っている。

台東リバーサイドスポーツセンター
夏休みのプールに自転車で行く子供たち。
平日のプールはガラガラで、のんびりした時間が流れていた。
公園では、蝉がうるさいくらい鳴いていた。

台東区から見るスカイツリー
なぜか最先端の建物に変なあこがれを抱いていた。
20世紀末の都会は、「これから街が発展していくんだ」という夢があり、活気がある時代だった(とおぼろげに覚えている)。そのへんの街の様子も、この「清川」、「今戸」、「橋場」と似ているところがある。
このあたりは、美味しいレストランや、オモシロいものを売っている店など、街の機能がまだ足らない(そういうのが無いのがいいところでもあるが、このあたりは店がなさすぎる)。

いざスカイツリーへ。
妙に、高度成長期から20世紀末の都会と状況が似ていて、まだこれから育っていく街「清川」、「今戸」、「橋場」。
「これからどう街が変わっていくのだろう?」
とちょっとわくわくしながら、僕たちは隅田川を渡ってスカイツリーが建設中の街へと向かった。

(地図データ ©2010 Google、ZENRIN)

浅草エリアの時代がやってくるのではないか?!それが私たちの仮説です。日本橋エリアを見つけた時の感覚と同じものを、東京のさらに東側の浅草エリアに感じました。昭和の懐かしさと近未来が混在したシュールな風景がおもしろいこの街で、物件を探し始めます。
浅草を探索する理由とは?
馬場正尊による関連コラム
「気になっている浅草エリアを、自転車ツアーで探索してみる。」

三箇山、松尾、伊藤、黒田(山形R 不動産リミテッド)
東京R 不動産の東チームとして日本橋エリアの物件を開拓するメンバーと、1 ヵ月の限定の特別参加の山形R 不動産リミテッドからの学生インターン。