2023.12.1

 

「パン屋限定」で入居者を募集した大家さんの目論み

近藤風香(東京R不動産)
 

大家として、大田区蒲田エリアで様々な試みを行っている茨田(ばらだ)さん。所有する賃貸物件で「パン屋さん」に限定して入居者を募集したところ、町に愛されるパン屋「SONGBIRD BAKERY」がオープンしました。通常、入居者に「条件づけ」することは空室期間が長引くリスクを伴うものですが、一体どのような目論みだったのでしょうか。

大家の茨田(ばらだ)さん。「大家としてやれることはいくらでもあるし、方向転換も柔軟にしてみればいい」

誰かに物件を貸して家賃収入を得る「大家さん」。世の中の大家さんは、「どうしたら自分の物件を借りてもらえるかな」と日々考えています。

そんな大家の一人である茨田(ばらだ)さんは、一つの作戦として、自身の所有する賃貸マンション1階の空き区画の募集に「パン屋さん限定」というユニークな条件を設けました。このように入居者に「条件づけ」してしまうと、合致する入居者が現れるまでの空室期間が長引くリスクもあります。

しかし、茨田さんの視点は長期的でした。「そこに素敵なパン屋さんが入ってくれれば、まちのみんなにも喜んでもらえるだろうし、結果的にこの地域全体、そしてこのマンションの上階にある住居区画の人気も高まるのではないか」と、市場性と地域性を十分に加味した上で、1階空き区画の入居条件をパン屋に狭めてみることにしたのです。

「このマンションの1階を『小さな商店街』にしたい」

舞台となったマンション。向かって左端をパン屋さん限定で募集することに

「パン屋さん限定!」と入居者が募集された区画

舞台はこちら、大田区にあるマンション1階の区画。茨田さんには「こんなお店に入ってほしい」というイメージがありました。

・幅広い層から愛される
・クリエイティブな雰囲気で、まちをより魅力的にしてくれる
・上階に住む人が、日常的に買いたくなる商品を扱う

「それは何屋さんだろう」という話し合いを東京R不動産の担当者としていくなかで、自然と浮かんだのが「パン屋さん」という仮説でした。

調査で見えた「パン屋空白地帯」というポテンシャル

早速、マンション周辺の「パン屋調査」をしたところ、駅前にチェーンの店はあるものの、個人経営でクリエイティブな雰囲気を持つパン屋は見当たらないことが発覚。「ここは、パン屋開業の穴場では?」と、仮説が現実味を帯びてきました。

パン屋誘致にあたって行った調査。アパート周辺のパン屋マップ(左)、店舗に面する道の通行量(中央)、周辺の年齢ごとの人口構成(右)

近隣には大きなマンションがあり、パン屋への集客が見込みやすい立地。隣の橋の向こうの公園で、買ったパンをほおばることもできます

でも、パン屋さんなら何でもいい訳ではなくて。入ってほしいのは、店の前を通り過ぎるたびにちょっと気になってしまうような、そのパンのことを考えると胸が踊るような...そんなパン屋さん。

思い描く「ニュアンス」を伝えるために何度も話し合って見えてきたのが「アトリエ系パン屋さん」というキーワードでした。

「『アトリエ系』と付いたら、来てほしいパン屋さんのニュアンスがうまく伝わる気がして、これは発明だ!と思いましたね」(茨田さん)

東京R不動産で、パン屋さんへのラブコールを発信

「パン屋さんへのラブコール」という物件タイトルで入居者を募集

こうして、東京R不動産のサイトでテナントの募集がスタート。募集コラムには、オーナーの気持ちが正直に綴られました。

パン屋さん限定で募集します!
この際だから思い切ってわがままも言っちゃいます。まずはこの町に皆無と言ってもいい「アトリエ系パン屋さん」に限定させてください。
なぜってこの町には、私たちが日々通いたくなるような、心ときめくパン屋さんがほんとうに見当たらないんです。この町のパン好きたちは、ずっと飢えているはずです。

さあ、あとはアトリエ系パン屋さんの申し込みを待つのみです。

お手製パンフレットで、ラブレター作戦

入居者募集を開始すると、「パン屋以外の店舗だけれど相談できますか」といった問い合わせもありました。しかし茨田さんは、「大変ありがたい話だけれど、もう少しパン屋さんを待ってみたい」と、運命のパン屋を夢見て募集を続けることに。

パン屋以外の可能性も広がる物件ですが、それでもパン屋にこだわりました

そうしてしばらく募集を続けましたが「アトリエ系パン屋さん」からのお問合せは数が限られ、申込の検討にも時間がかかりました。というのも「パン屋」は厨房の設備機器など初期費用が多く、開店のハードルが高い業種。「パン屋を開きたい」という人の母数が、そこまで多くないのもまた事実でした。

「いつかは、この『パン屋縛り』を諦めなきゃならないのかなあ...」。そう弱気になってしまってもおかしくないなか、茨田さんもR不動産も、まだまだ「パン屋誘致」を諦めません。

茨田さんは雑誌やネットでパン屋情報を収集し、「2号店、または移転先として来てほしい店」を40軒ほどリストアップ。R不動産の担当者と手分けをして手作りのパンフレットを飛び込みで渡しに行くなど、積極的な誘致活動も行いました。(通常私たちもここまではなかなかやれないのですが・・)

茨田さんが仲間と制作した、18ページにわたるパンフレット「パン屋さんへのラブコール」。物件の分析とポテンシャルや、パン屋さんへの熱い想いを盛り込みました

ラブコール中に起こった2つの出来事

そんななか、2つの転機がありました。ひとつは、募集中に世の中がコロナ禍となり「おうち時間」が急激に増えたこと。その流れで「『都心』や『駅近』だけでなく、『暮らしている家の近く』にも素敵なお店が欲しいよね」という空気が世間に広まり、住宅街の店舗物件にも注目が集まるようになりました。

もう一つは、隣区画にカフェ「SSYET」がオープンし、この建物に店を構えるイメージがしやすくなったこと。(こちらの区画も東京R不動産で募集していました)

「駅から近すぎずカフェの少ないエリアにお店を開いて、1人で営業しながらお客様との会話も楽しみたいと思っていました。内見で初めて降り立った蒲田は雰囲気もよく、物件が素敵にリノベーションされていたのも決め手でした」(SSYET 金井さん)

隣の区画に入居した「SSYET」(エスエスイエット)は、少人数でゆっくりとスイーツをいただけるカフェ

洗練されたカフェが入居したことで、建物の路面が華やぐことに。パン屋さんの募集ページでは「おとなりにカフェがオープン!」と、物件の新たな価値をアピールすることにも繋がったのです。

待ってました、アトリエ系パン屋さん!

こうしてよい機運が醸成されはじめたころ。ついに、待ち望んでいたタイプのパン屋さんから、同時期に複数の申し込みが!

どのパン屋さんも地域に親しまれるお店になりそうで、ひとつに決めるのは嬉しくも苦しい検討でしたが、悩みに悩み抜いて選ばれたのは、「ひとりで独立して初めての店を持ちたい」という本藤さんでした。

笑顔の素敵な本藤さん。「やさしいお人柄で、きっとこのまちに愛されると思った」と茨田さん

地域の方々やマンションの住人にも愛される人気店「SONGBIRD BAKERY」

「東京R不動産の本を読んで、サイトのことはもともと知っていました」と話してくれた本藤さん。どんな物件を探していたのでしょうか。

「近隣にパン屋が少なくて、近くに公園がある、住宅街の物件を探していました。この物件はパン屋開業に向けたデータなども調べてくださっていて、物件や大家さんにすごく興味が沸いて。実際に内見に来て、直感というか、ここでお店をやるイメージが明確に持てたことが決め手でした」(本藤さん)

本藤さんは内見後にお隣のカフェにも寄るなど、このマンションをじっくり見学して帰られたそうです。

面談と融資交渉で見えた、お互いの頼もしさ

当時の勤務先で作ったパンでも十分実力は伝わるのに、面接に持ってきてくれたのは、家で焼いた「自分のパン」でした(写真はSONGBIRD BAKERYの商品)

茨田さんとの面談の際、本藤さんは自作したパンを持ってきてくれました。

「アトリエ系のパンって、カチカチで小麦の味がするイメージだったんです。けれど本藤さんは、そういう『キレッキレのパン』も作れるはずなのに、自己主張しすぎない、やさしいパンを持ってきてくれて。このまちに合いそうな、柔和な人柄がよく表れていました」(茨田さん)

一方、融資交渉に関しては、茨田さんの頼もしさが伺えました。
「融資の交渉をする時は、茨田さんが信金さんを紹介してくださって、一緒に担当者に会ってアピールしてくださいました。普通大家さんがそこまでしないと思うので感動しましたし、感謝の気持ちでいっぱいです」(本藤さん)

「開業したい人が自分だけで交渉するより、大家側が地元の金融機関を通して交渉した方がスムーズにことが運んだりしますから。これも『貸す技術』かもしれませんね」(茨田さん)

そうして、ついに待望のパン屋さん「SONGBIRD BAKERY」がオープン。心ときめくパン屋さんをまちの人たちは大いに歓迎し、「このあたりにパン屋さんができてうれしい!」と毎日行列の絶えない人気店になりました。

「ラブコール」が実を結んだ、大家としての「貸す技術」

「こんなに『パン屋コール』をしておいて、店が繁盛しなかったら申し訳なかったけれど、結果で証明してもらえて一安心しました」(茨田さん)

所有する物件の区画が空いた際に、ただなんとなく入居者を募集するのではなく、「同じ建物に住む方々へのメリット」や「まちの魅力」といった長期的な目線でパン屋さんを誘致した茨田さん。

「R不動産は、こうした面倒な募集によく付き合ってくれたなと思っています。パン屋さんの入居だけでなく"その先"までイメージして、常に俯瞰したビジネス視点で助言をくれました。それに、募集記事の文章も内見時の説明も、『ここに店を出すのってアリかも』と出店者さんたちに思わせてくれるもので。その納得感というか、『詰め』が他の不動産業者と違いますよね」(茨田さん)

大家さんにとって大切なのは、募集情報を「とにかく多くの人に」ではなく、「ぴったりな入居者さんの一人に」届けられるかどうか。お互いにハッピーになれるストーリーをしっかり考え、覚悟を決めてしっかり伝える・熱意を持って入居者さんをサポートする、といった姿勢が、素敵な出会いを生み出したように思います。

●お店情報

店名:SONGBIRD BAKERY(ソングバードベーカリー)
Instagram:@songbird.bakery
住所:東京都大田区西蒲田1-2-12カマタブリッヂ101
開店:2021年 7月
広さ:38.06㎡

Before:アトリエ系パン屋さんを待ち望んだ『パン屋さんへのラブコール』

After:地域とマンションをより魅力的にしている『SONGBIRD BAKERY』


※この記事は、東京R不動産のnoteにも掲載しています。
noteには他の事例やエピソードもございますので、是非ご覧ください。
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