🖼️みんデベ」の背景のはなし

僕らが「みんデベ」の考え方に至った経緯や背景について、ちょっと振り返っておこうと思います。

これまで、おもしろい空間や魅力ある街が増えるためにどうしたらいいかを考えて色んなことをやってきました。

よく観察していると街の中にはおもしろいものやコトは確かにいろいろあるし、増えているようにも思えます。しかし街の風景や建物という意味では「ここにしかない」ものが減っていくなぁ……、と思うことも多いんですよね。「経済効率を考えればそうなるんだろうね」「まあ、これでいいかな」といった感じで街がつくられ、変わっていく感覚。

そして、街の中から”主体性”みたいなものが少しずつ消えていっている気がするわけです。“人の顔が見える店“なんかもそうですが、住んでいる人たちがその街に関わっている感じとかも含めて。

 

商品化される建物と都市の断片化

いま、ほとんどの建物は“商品”としてつくられます。賃貸の物件は貸すための空間商品だし、戸建住宅もどこかの誰かが企画してつくった商品を“選んで”建てるのがほとんどです。店もそれ自体がパッケージ商品みたいなものが増えてきたかと思います。

人が増えていた時代にはそうして早くたくさんつくってたくさん売るのが必要でもあったでしょうし、今でもそれが悪いってわけではないものの、「自分がほしいものをつくる」とか「ほしいからつくる」とはやっぱり違いますよね。

 

都市に住む多くの人は、その場所に暮らす意味とか理由はそれほどなく、ある程度自分に合うスペックと、タイミングで選ぶことが多いと思います。でもそれだと、街に主体性なんて宿らなくなるのは自然なことです。

それは気楽で快適な世界なのは確かなのだけれど、やっぱりバラバラになっていきますよね。それぞれがそれぞれの範囲で快適ではあるけれど、街全体が魅力的になっていくような方向には向かわない、いわば断片化していく世界。

全部がそうなっていくのはやっぱり違うよなぁと思っていたし、実はそれは勿体ないことで、結果的には損しちゃうことなんだと感じます。大都市のごく一部の場所はともかく、これからの時代、誰かが街をもっと「自分ごと」にしないと絶対ヤバいよなぁ、と思うようになりました。

 

郊外で見つけた可能性

一方、数年前から僕らの中で「郊外ってなんかいいかも」っていう話が出てきたんですね。ゆるくてほのぼの感もあって、全部いちいち最適化されていく窮屈さがない感じとか。そして、それまであまり意識していなかった郊外の余白にも、新しい何かが生み出せる予感を感じました。

そのあたりから、暮らす人たちがこれまでよりも主体的に楽しく街の未来をつくっていくようなことができるかも、と思い始めたわけです。

 

 

数年前には、自分の親が認知症になって介護施設に入ったんですが、“よく企画された商品的な家“から”よく企画されきちんと運営される商品的な施設“に移り、それが終の住処、みたいな状況を見て色々感じるところがありました。やっぱり断絶感があるなぁとか、どうせならもっといろんな人が混じって住んでる方がいいよなぁ、とか。

そうしたことからも、街をどんな風につくっていけばいいか、色々考えるようになりました。

 

 変わりゆくデベロッパーの役割

やっぱり「その街にはいない外のデベロッパーたちが全部やっちゃう世界」の先にはあんまりいい未来は見えないな、そもそもハコ=建物だけつくる会社っていうのも違うよな、これまでのデベロッパーの役目が、意味がもう終わりつつあるんだな、と思うようになりました。

地域の人や会社が主体になって、まちがつくられていく方がいいよね、なんなら「みんなが」デベロッパーになっちゃえばいいんだよね、と思えてきたわけです。

 

ぶっちゃけ、そうならないとダメなんじゃないかとも思います。よほど便利な場所とかじゃない限り、そこに「主体」がいなかったら、そこにいる意味を持っている人がいなかったら、これからの時代、そんな場所は消えていくはずですから。

そんな風に考えていたら、だんだんイメージも湧いてきて、できる気がしてきまして。もちろん、世知辛い現実の理屈はだいぶわかってるつもりだし、簡単ではないんだけど、わくわくしてきたんですね。

 

広がり始めている「小さなデベロッパー」

そして、実はそういうことはもうとっくに始まっているってことも僕らは見てきました。街にはすでに「小さなデベロッパー」がたくさん生まれています。小さなデベロッパーたちはそれぞれに、身近なところでチームを組みながら、けっこう楽しそうにいろんなチャレンジをしています。

でもそこでは「もっと大きな力があれば、こういうことができるのに」とか「うーん、これには対抗できないなぁ」みたいな場面とかがあるわけです。大きなことをするならば、大きな会社を東京から呼んで「主体性」をまちの外に出してしまうのではなくて、小さなデベロッパーたちが連合すればいい。そこでは専門知識やコツも要るから、僕らも一緒に入ってやっていこう、そんなふうに思うようになったのです。

 

市民がつくる事業のヒント

ところで「市民がみんなで事業をつくる」といった意味では、日本では例えば「生協」があります。暮らしに必要なものを、会社じゃなくて「組合」というかたちで、自分たちのために自分たちでやる事業、が生協です。また住宅の世界ではコーポラティブハウスというのがあります。これも元々は「みんなで組合をつくって自分たちで」集合住宅を開発する事業です。

僕らはこの考え方が、実は新しい可能性を持っているな、とも気づきました。先にビジョンや企画をつくって「この指とまれ」をして、自分たちでつくる方法。お金ありきでなく、ビジョンありきのやり方です。

また、地域の人や事業者たちが主体となる世界では、地域のためにルールを変えていくこともできます。そうしたことにもいろんな可能性が見えてくるでしょう。

 

みんデベ」がめざす世界

そんなこんなで、僕らは「みんながデベロッパーになる世界」をつくりたいと思うようになりました。

みんながデベロッパーで、みんなでデベロップする世界。

それは“今までのデベロッパー”とは、やり方も目的も、ノリも形も、だいぶ違うものです。それがどんなものなのか、入り口のイメージは持ちましたが、まだまだこれから見えてくるものと思っています。

そのための知恵を共有したり、仲間を増やしたりつながったりしながら、大きな力にしていっちゃおう。

ということで、「みんデベ」に至ったのでした。

とりあえず、今ここです。