column 2014.1.21
 

花屋はある日突然に

安田洋平(東京R不動産/Antenna inc.)
 

以前、「蔦アトリエ」という名で賃貸募集していた物件。現在は、お花屋さんになっています。でもその店主さん、実は「お店を始めたいから物件を探す」というのとは、物事の順序が逆だったそうです!?

西新宿5丁目にある一軒家を店舗にした花屋「ハナミドリ」。

独立するつもりではなかったが、出会ってしまった

「もともと、開業したいと思って物件を探していたわけではなかったんです」。西新宿にある一軒家で花屋「ハナミドリ」を営んで3年目になる上田 翠(みどり)さんは言う。

近々引っ越さなくてはならないとか、独立するためにお店を借りたいといった、直接的な動機があったわけではなかった。しかし東京R不動産のサイトで物件を見るのが好きで、ほぼそれは日課のようになっていた。

そんな折に出会ったのがこの物件。気づけばその場で問合せのメールをしている自分がいたという。まさか、自分が物件を借りる……? しかし直感的に「ここで花屋をやりたい」と思ってしまったのだ。上田さんは内見をした後、即座に申込みを入れた。同時に、思いきってそれまで長く働いていた花屋を辞める決意をした。

「まあ……、お金を借りず自分の貯金で出来るのなら、いいよ」。旦那さんからはそう言ってもらった。

もともと「住居兼事務所用(店舗は要相談)」として出されていた物件だったこともあって、一般的な店舗物件と比べると敷金礼金がそれほどかからないで済んだことは幸いだった。

花の仕入れや配達に必要な車はさしあたり自家用車で工面することにした(車高のある車で良かった)。店で使う什器はそれまで勤めていた花屋からもらったりもした。また物件のオーナーから、この建物の中にもともとあった棚や机も譲ってもらった。駐車スペースが建物の前にあって、しかも家賃の中に駐車場代が元々含まれていたことも都合が良かった。

あとは花だ。花屋は何か格段にモノが要るというのでなく、基本的には花があれば商売が始められる、という点では軽やかな職種である。

(左)「ハナミドリ」の玄関部分。以前は事務所だったので、間口は狭い。 (右)現在の1階部分。花が溢れている。

そのままを引き継ぐ

しかし、何といっても大きかったのは内装も外装も、まったく手を入れることなく、元の状態を引き継いで使えたことだった。

もともとこちらは設計士の方がオーナーで、1階部分を自身の設計事務所として、2階を住居として使用されていた。もう築50年近い、オーナーの親御さんの代から所有していた古い木造一軒家だったが、上手にリノベーションを施していた。

ちなみにオーナーが使うようになる前は、印刷工場として使われていたそうだ。そのせいで1階は土間敷きだったが、オーナーは、拾って来た杉板を自分で張ってフローリングに変えた。印刷のインクなどがついて汚れた壁は、白の漆喰できれいに塗り直した。天井は、印刷工場として使われていたおかげで、高くなっていた。

2階へは外階段で上がっていくつくりとなっているが、同じく杉板が床に張られ、壁は白の漆喰が塗られ、そしてキッチンとユニットバスが据えられ、小さいながらも心地良い部屋としてやはりリノベーションされていた(1階部分は約12帖、2階の居室スペースは6帖程度の広さ)。

そうした元のつくりを継承して、花屋「ハナミドリ」はオープンしたのだった。

なお、オーナーがここを出たのは、結婚を機に手狭となったからである。現在は鎌倉に古い一軒家を購入して、やはり改装をしてご夫婦で暮らしているという。

2階へあがる階段沿いの壁も、蔦で覆われている。

定期的にひげ剃り?

もうひとつ、この物件の特徴となっているのは、家全体が“もじゃもじゃひげのような”蔦で覆われていることである。賃貸契約にはこうした一文が添えられていた。「借り主の責任で蔦を刈ることを賃貸条件としてお願いします」。

内装はきれいにリノベーションしたが、外壁に手を加えるまでの予算はなかったオーナーが、ローコストでできる工夫として蔦の苗を何株か植えたのが始まりというが、今やすっかりこの物件のトレードマークだ。

「最初に見たときの、蔦が一杯に伸びている感じがすごく素敵で決めたと言っても過言ではありません。でも本当に1年に数回刈らないと、あっというまに大変なことになってしまうんです」(上田さん) 

今、ハナミドリで蔦を刈るときは、予め友人数名に声を掛けておいて、朝から晩までまる一日をかけて、剪定バサミを用いて、家のお顔のシェービング?さながらに行う。なかなか大変だ。けれど同時に、ワイワイ、ちょっとしたイベントのようでもある。

「私は少し葉を残しながらやるんですけど、一緒に作業をする友人には蔦なんて今まで刈ったことがない人もいるので、後で見たら一部分だけつんつるてんになって、ツーブロックの髪型みたいになってしまったときもあります(笑)」

お店の玄関に掛けられているハナミドリの表札をふと見れば、そこには店名とともに、頬から顎にかけて豊かなひげをたくわえた、かわいらしいお家のイラストがプリントされていた。

「ハナミドリ」を営む上田 翠(みどり)さんと、色鮮やかな花が並ぶ店内。

気心のしれた、近所のお花屋さんに

オーナーが設計士さんで他に良かったことは、賃貸にもかかわらず改装自由なところ。相談をすれば話を聞いてくれ、理解もしてもらえることだった。その都度事前共有をしてくれれば、原状回復も考えなくていい、と。

「お店を始めるときには内装の予算がなかったし、それ以上に、元のままが素晴らしかったので、結果的にほぼ何もいじっていないんですけど。でも何かにつけ大家さんに相談すれば、的確なアドバイスをもらえるので心強いです」

初期投資が少なくて済み、なおかつオーナーの理解もあったことが大きな利点としてありつつも、商売として成り立つのか、初めての自分のお店で不安がなかったわけではない。

たとえば、立地的に見れば、ターミナル駅の近くというわけでもないし、最寄り駅である大江戸線・西新宿五丁目の駅からは近いが(徒歩2分)、場所は裏路地に入ったところなので概して人の流れが多いわけではない。

「それが心配であったのは事実です。ただ、もともと往来の多いところで次々とお客さんにお花を売るというより、常連さんを中心に、その場所で生活している方々に話をしながら花を売って、というかたちでやっていきたいと思っていたので」

今では、小さな子どもを連れた夫婦、外国人、昔からこの町に住んでいるご婦人……、馴染みのお客さんたちが蔦に囲まれた玄関をくぐって、日々の花を買いに訪れる。上田さんは花をアレンジしながらいつものように世間話をする。

もともと何十年も住んでいる人が多く、町に歴史もあるので、人のつながりがきちんとある。あるいはテレビ局や出版社といった、メディア関係の職種の人が夜遅くでも帰ってきやすい場所。近隣にそうした人が少なくないこともあってか、メディアに取り上げてもらう機会にも恵まれた。もちろん、そのアイコン的な風貌の貢献度も小さくはなかっただろう。

「おじいちゃんもおばあちゃんも、子どもも、誰でも気軽に買いに来ることができて、普段使いができるお店ができればと思って始めたお店。小さなブーケひとつでも、お客さんから相談されたものは出来ますよ、といつも言える店でありたい」

お店を始めようとして場所を探したわけではない。むしろ物件が先にやってきて、上田さんの人生を変えた。そして、蔦のアトリエは設計事務所から花屋になった。ただ変わらないのは、この場所は、居心地の良い空間であり続けているということだ。

ハナミドリのHP

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